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第94話 「大丈夫って言ったじゃん」と、彼女が初めて少し本気で怒った

last update publish date: 2026-11-05 21:36:10

第94話 「大丈夫って言ったじゃん」と、彼女が初めて少し本気で怒った

 公園の木々の向こうで、花火が上がっていた。

 建物に半分隠れ、枝葉にも遮られて、丸い形の全部は見えない。遅れて届く音だけは大きく、腹の奥へ響いてきた。

 俺と陽菜はベンチに並んで座っていた。

 手は繋いでいる。

 でも、さっきまでのデートで繋いでいた手とは違った。

 陽菜は怒っている。

 俺もそれを分かっている。

 それでも手を離さないという状態が、妙に俺たちらしい気もした。

「頭、まだ重い?」

 しばらくして陽菜が聞いた。

「さっきよりだいぶいい。ここなら平気」

「気持ち悪くはない?」

「ない」

「本当に?」

「今度は本当に」

 陽菜の指が少し動いた。

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    第94話 「大丈夫って言ったじゃん」と、彼女が初めて少し本気で怒った 公園の木々の向こうで、花火が上がっていた。 建物に半分隠れ、枝葉にも遮られて、丸い形の全部は見えない。遅れて届く音だけは大きく、腹の奥へ響いてきた。 俺と陽菜はベンチに並んで座っていた。 手は繋いでいる。 でも、さっきまでのデートで繋いでいた手とは違った。 陽菜は怒っている。 俺もそれを分かっている。 それでも手を離さないという状態が、妙に俺たちらしい気もした。「頭、まだ重い?」 しばらくして陽菜が聞いた。「さっきよりだいぶいい。ここなら平気」「気持ち悪くはない?」「ない」「本当に?」「今度は本当に」 陽菜の指が少し動いた。「その言い方、今はあんまり好きじゃない」「ごめん」「謝ってほしいんじゃなくて」「うん」「……いや、謝ってほしくないわけでもないんだけど」 陽菜自身も言葉を探しているらしい。 怒っているからといって、全部が綺麗に整理されているわけではない。 また花火が上がる。 赤い光が木の隙間に見え、少し遅れて音が来る。「綺麗?」 俺が聞く。「半分しか見えない」「だよな」「でも、少しは見える」「うん」 それだけ話して、また黙った。 陽菜が花火を見たいと言っていたことを思い出す。 この日のために浴衣を選び、髪をまとめ、慣れない下駄まで履いてきた。俺が「見

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    第92話 屋台の匂いが多すぎて、彼女の匂いまで分からなくなった 金魚すくいの屋台を離れても、頭の奥に残った重さはすぐには消えなかった。 陽菜の手はまだ握っている。隣にいることも分かっている。それなのに、いつもなら自然に拾えるはずの彼女の匂いだけが、人混みの中に沈んでいた。焼きとうもろこしの醤油、たこ焼きのソース、揚げ物の油、綿あめの甘さ、煙、汗、香水、制汗剤。別々ならまだ処理できる匂いが、今夜は全部同時に押し寄せてくる。「悠真、やっぱり少し離れようか」 陽菜が俺の顔を覗き込む。声はいつも通りだったが、さっきまでより明らかに心配している。「もう少し歩けば、休憩場所あったよな」「うん。川沿いの端のほう。屋台から少し離れるって地図に書いてあった」「そこまで行きたい」「分かった。でも、きつかったら途中で止まろう」「うん」 返事をしてから、俺は自分でも少し驚いた。 陽菜の匂いは分からない。 でも声は分かる。 聞き慣れているから当たり前だと思っていたが、人の声が多い場所でも、陽菜が話せばすぐ見つけられる。少し高くなる時、笑う直前に息が抜ける感じ、心配している時だけ語尾が少し柔らかくなる癖まで分かる。「何?」「声」「声がどうしたの?」「陽菜の匂い分からないけど、声はすぐ分かる」 陽菜は一瞬きょとんとしたあと、少しだけ笑った。「今それ言う?」「気づいたから」「私は前から悠真の声好きって言ってるのに、ようやくこっち側に来た?」「同じではない」「じゃあ何」「俺は声フェチじゃない」「知ってる。でも今、私の声で安心したでしょ」「少し」「じ

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    第90話 彼女の汗の匂いを好きになった夏は、まだ終わらない 大会の翌日、陽菜は午前中いっぱい寝ていたらしい。 昼を少し過ぎた頃に届いたメッセージには、『起きた。脚重い。お腹すいた』とだけ書いてあった。昨日は自己ベストを出し、目標には届かず、嬉しいと悔しいを両方抱えて帰った人間とは思えないくらい生活感のある文章だった。『ちゃんと食べろ』 俺が返すと、すぐに、『今から食べる。悠真、今日暇?』 と来た。『午後なら』『ちょっと会いたい』 それを見た瞬間、俺は少しだけ考えた。 昨日かなり疲れていたのだから休んだほうがいいのではないか。わざわざ外へ出てこなくても電話でいいのではないか。そういう考えが浮かぶ。 でも、それを決めるのは俺ではない。『どこなら楽?』 そう返した。 陽菜が指定したのは、大学から少し離れた小さな公園だった。駅前ほど人が多くなく、木陰もあり、近くにコンビニもある。長く歩かずに済む場所を自分で選んだらしい。 午後三時過ぎ、俺が着くと、陽菜はすでにベンチに座っていた。 昨日の競技用の格好とは違い、今日はゆるいTシャツとハーフパンツだった。髪も簡単にまとめているだけで、完全に休みの日の顔をしている。「早い」「悠真が遅い」「約束の五分前」「私は十分前」「それは陽菜が早いだけ」「昨日の大会の癖が残ってるのかも。時間より前に動く」「明日には戻る?」「多分、普通に五分遅れる」「戻らなくていい」 陽菜が笑った。 その笑い方を見て、昨日よりかなり楽になっていることが分かる。「脚どう?」

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    第89話 嬉しいと悔しいは、同じ日にあっていい 大会がすべて終わる頃には、空の色が少し変わり始めていた。 まだ夕方と呼ぶには明るいが、昼間の刺さるような日差しは少し弱くなっている。競技場を出る選手や観客が駅へ向かって歩き始め、入口付近にはスポーツバッグを持った学生たちの列ができていた。 陽菜は陸上部の仲間へ挨拶を済ませたあと、俺のところへ戻ってきた。「待った?」「そんなに」「嘘。二十分くらいかかったでしょ」「本読んでたから」「競技場まで来て本持ってきてるの、悠真らしいね」「待つ時間あると思った」「正解だった」 陽菜は少し笑い、そのまま俺の隣へ並んだ。 さっきまでよりは表情が柔らかい。ただ、完全に明るくなったわけでもなかった。自己ベストを出した嬉しさと、目標へ届かなかった悔しさの両方を持って帰ると言ったばかりだ。 それなら、どちらか一つの顔にならないのも当然なのだと思う。「駅まで歩ける?」「歩けるよ。脚は疲れてるけど、痛くない」「荷物持つ?」「大きいほうお願いしていい?」「いいよ」 スポーツバッグを受け取ると、思ったより重かった。「何入ってるの」「スパイク、着替え、飲み物、タオル、あと細かいやつ」「大会一日でこんなになる?」「陸上部は荷物多いの」「走るだけなのに」「今、全国の陸上部員を敵にしたよ」「言い方悪かった」「かなり」 そんなくだらない会話をしながら歩く。 大会直後にしては普通だった。 でも、競技場が少し遠くなった頃、陽菜が急に黙った。

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